朝、目が覚めること。
息ができること。
誰かの声を聞き、空を見上げ、今日という日を迎えること。
それらは、あたりまえのようでいて、決してあたりまえではありません。
はるか遠い昔から、名も知らぬご先祖様が命をつなぎ、祈り、働き、耐え、守り続けてきた。その長い流れの末に、いまの私たちがあります。
一人でも欠けていたなら、この体も、この心も、この瞬間も存在していなかったでしょう。
思えば、命とは不思議なものです。
目には見えぬ手から、そっと渡された一本の灯火のようです。
風に揺れながらも消えず、時を越え、人から人へと渡されてきた光。
その光を、いま私たちは手の中に持っています。
仏の教えは、すべては縁によって生まれると説きます。
自分一人の力で生きているものは、何ひとつありません。
いまここにいること。
それ自体が、数えきれぬ縁と、祈りと、時間の結晶なのです。
だからこそ、今日を生きられることは、奇跡に近い恵みなのだと思います。
怒る日もあれば、迷う日もあるでしょう。
心が曇る日もあります。
それでも、命が続いているという事実だけで、すでに大きな意味があるのかもしれません。
あたりまえではないからこそ、
一杯のお茶の温かさも、
誰かの言葉も、
夕暮れの空も、
すべてが、どこか尊く見えてきます。
ご先祖様から渡されたこの命を、今日も静かに生きていく。
それだけで、きっと十分に尊いのだと思います。

