人と人とのあいだに結ばれるものは、目に見えない。
しかし、その見えないものこそが、人生の土台となり、信用となり、やがて自分自身を支える柱となる。
その一つが「義理」である。
不義理とは、約束を軽んじること。
恩を受けながら、それを忘れること。
あるいは、都合が悪くなった途端に背を向けること。
一時は楽かもしれない。逃げたほうが、傷つかずに済むようにも思える。
だが、不義理は必ず自分の内に残る。
義理とは、形式ではない。
形だけの挨拶や、仕方なく果たす礼儀でもない。
それは「覚えている」という姿勢であり、「あなたとの関係を大切にしている」という無言の意思表示だ。
人は、必ず誰かに支えられて生きている。
親、師、友、仕事仲間、客人――
その積み重ねの上に、今の自分がある。
だからこそ、縁を粗末にしてはいけない。
不義理を重ねると、縁は静かに離れていく。
怒りや非難を伴わないことも多い。
ただ、二度と声がかからなくなるだけだ。
それは気づいたときには、もう取り戻せない。
義理を守る人は、派手ではない。
損をすることもある。
それでも、最後に人が集まるのは、義理を通した人のもとだ。
なぜなら、人は本能的に「信じられる人」を求めるからである。
約束を守る。
礼を欠かさない。
恩を忘れない。
それらは古くさい価値観のように見えるかもしれない。
だが、時代が変わっても、人の心は変わらない。
義理を軽んじる社会に、真の信頼は育たない。
不義理はするな。
それは相手のためだけでなく、
自分の人生を、静かに、しかし確かに守るための心得なのである。

