人が集まる場所にいると、ふと耳にすることがあります。
学校行事や待ち時間の合間、何気ない会話の中で語られる、家族への不満や悪口。
姑のこと、嫁のこと。
時には、強い言葉で笑いながら語られることもあります。
けれど、その言葉を静かに見つめてみると、少し違う姿が見えてきます。
姑が嫁を貶すことは、
それは、息子の選んだ人生を否定することでもあります。
どのような人を伴侶に選び、どのような家庭を築こうとしているのか。
その歩みを軽んじることは、息子そのものを軽んじることに通じてしまいます。
そしてまた、逆も同じです。
嫁が姑を貶すことは、
夫が生まれ育ってきた道や、その根を否定することにもつながります。
人は、突然今の自分になったのではありません。
育ててくれた人があり、支えてくれた環境があり、長い時間の中で今があります。
その背景を否定することは、
ともに歩む人の一部を否定してしまうことでもあるのです。
仏教では、「口業」という教えがあります。
言葉は、心の表れであり、やがて自らに返ってくるものだと説かれます。
一時の気晴らしに口にした言葉も、
それが荒ければ、心は少しずつ荒れていきます。
そして何より、
人を貶す姿は、決して美しいものではありません。
人は皆、弱さを持ち、不満を抱えて生きています。
だからこそ、言葉だけは、少しだけ丁寧に選びたいものです。
縁を尊び、
互いの歩みを思い、
静かに言葉を整える。
それだけで、人の佇まいは大きく変わります。
家族とは、不思議な縁です。
選んだ人と、その人の過去や根も含めて、人生を重ねていくものです。
その縁を大切にできる人の周りには、
やがて穏やかな空気が満ちていきます。
言葉は、その人の心の庭に咲く花です。
どんな花を咲かせるかは、日々の心に委ねられています。
今日という一日が、
静かでやさしい言葉に満ちたものでありますように。

