先日、ある寺院にお参りした折、ちょうどご住職が説法をされていました。
そのとき耳に残った言葉が――
「心行ひとつ」
こころと行いは、ひとつでなければならない、という教えでした。
口では立派なことを語りながら、行いが伴わない。
あるいは、行いは正しくとも、心の中では不平や不満を重ね、ついには言葉となってあふれ出る。
それでは、真に整った姿とは言えないのだと。
仏教では、身(からだ)・口(ことば)・意(こころ)を整えることを大切にします。
三つが調和してこそ、人は清らかに生きられると説かれます。
たとえば、誰かに優しい言葉をかける。
しかし心の奥で見下しているなら、その優しさはどこかに歪みが生じます。
また、黙々と働きながら、胸の内で怒りを積み重ねていれば、やがてその火種は自らを焼くでしょう。
「心行ひとつ」とは、外側を繕うことではありません。
自分の内と外を一致させるという、静かな修行なのです。
人は完全ではありません。
だからこそ、ずれに気づいたとき、そっと正す。
言葉が先走れば、行いを省みる。
行いが整っていても、心が荒れていないかを振り返る。
それを繰り返すうちに、少しずつ、自分という器は澄んでいくのでしょう。
神仏は、立派な言葉よりも、飾らぬ真心をご覧になっている――
そう思えば、背筋が自然と伸びます。
心と行いがひとつであること。
それは大きなことではなく、日々の小さな場面に現れます。
誰も見ていないところでの振る舞い。
感謝を言葉にする姿勢。
不満よりも、まず自分を省みる心。
今日という一日もまた、
心と行いをそろえる一日でありたいものです。

