人は、ときに心が折れそうになるほどの苦しみに出会います。
どうして生きていなければならないのか、と問いかけたくなる夜もあるでしょう。
お釈迦様は、人の生は本来「苦」を伴うものだと説かれました。
生まれること、老いること、病むこと、そして別れ――
避けることのできない現実を「四苦」と呼び、さらに思い通りにならぬ心の葛藤を合わせて「八苦」と教えられました。
つまり、つらいと感じることは、特別なことではなく、生きている誰もが通る道なのだと示されたのです。
けれども、お釈迦様の教えは、ただ「苦しい」と言うためのものではありません。
苦しみは永遠ではなく、移ろいゆくもの――無常であるとも説かれました。
どれほど深い闇に思えるときでも、時は静かに流れ、心の景色は少しずつ変わっていきます。
また、人は一人で生きているのではありません。
縁によって生かされ、縁によって支えられています。
もしも命を絶ってしまえば、その縁は突然断たれます。
残された人の悲しみは、言葉に尽くせないほど深く、長く心に残ります。
その人たちは、もっとつらい思いを抱えて生きていくことになるでしょう。
生きることは、決して楽な道ではありません。
しかし、苦しみを抱えながらも歩む姿そのものが、生きているということなのかもしれません。
どうしても心が重くなるときは、無理に強くあろうとせず、ただ一日を過ごすだけでもよいのだと思います。
夜が明ければ、また新しい朝が訪れます。
生きるとは、苦しみを知り、それでもなお歩みを止めないこと。
その歩みの中にこそ、いつかふと、やわらかな光が差す瞬間が訪れるのだと、仏の教えは静かに語りかけています。

