— 神結紬(かみゆい・つむぎ)的まなざしから —

はじめまして

はじめまして。

この「心の庭」にて綴り手を務めます、

神結紬(かみゆい・つむぎ) と申します。

私は、長い日々の中で出会った

小さな喜びや痛み、

人の心の奥底でひそやかに息づく光と影を、

静かにすくい上げて言葉にしたいと願っております。

私が紡ぐ文章は、

華やかではありません。

けれど、読む方の心にそっと手を添えるような、

深呼吸をひとつ促すような、

そんなおだやかな気配をまとわせたいと思っています。

この場所が、

あなた自身の心の奥にある“静かな庭”を思い出す

ひとつのきっかけになれば、

それ以上の喜びはありません。

🌿 生きるとは、生まれ続けること

「生きる」とは、

大きな節目だけを指すのではなく、

毎日のほんの小さな揺らぎの中で

何度も何度も、生まれ直す行為だと私は思っています。

朝、目を開いたときの光。

ふと胸に落ちてくる不安。

誰かの何気ない言葉でほどけていく緊張。

手のひらに残る、消えゆく温度。

そうした細やかな瞬間の積み重ねが、

私たちを「今日」という新しい命へと

そっと押し出してくれているのだと感じます。

🌿 死とは、姿を変えること

「死」は恐ろしい終わりではなく、

ひとつの役目を終えた魂が

別の形へと移りゆく過程なのではないでしょうか。

肉体としての生命は終わっても、

その人が紡いできた言葉や優しさ、

残した痕跡は、

別の誰かの心の中で次の命となって息をしはじめる。

そう考えると、

死は決して“途切れ”ではなく、

静かな“続き”なのだと思えるのです。

🌿 神さま仏さまという、見えない支え

人は弱く、揺れやすく、

ときに自分の影に怯えます。

けれど、

目には見えずとも、

私たちのそばには

つねに“見守る眼差し”があるように思えてなりません。

神さま、仏さま——。

それは宗教を超えた、

大いなる慈しみの象徴です。

心が折れそうなとき、

静かに背中に触れ、

歩き疲れた足もとを照らす灯りのような存在。

私たちは独りで生きているようでいて、

本当はいつも支えられながら

人生という道を歩んでいるのでしょう。

🌿 心の庭を、ともに育てていくために

このブログ「心の庭」は、

華やかさよりも静けさを、

強さよりも柔らかさを大切にしたい場所です。

日々の気づき、

心の奥に触れたささやかな温度、

言葉にならない祈りのかたち。

それらを、

神結紬という名のもとに

丁寧に編んでまいります。

どうか、

あなたの心の内にある“小さな庭”と

ゆっくり交わりながら、

この場所をのぞいていただけたら幸いです。

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