人はお金で多くの物を買うことができる。
家も、服も、食事も、時間さえも、ある程度まではお金で整えられる。
物は、確かに買える。
しかし――
幸せは、そうはいかない。
通帳の残高が増えたとき、胸に広がるのは喜びというより安堵に近い。
不安が一つ減った、という感覚だ。
それを幸せと呼ぶ人もいるだろう。
だがそれは「不幸ではない状態」であって、必ずしも「幸せそのもの」ではない。
お金は、ときに人の価値を測る物差しになる。
地位、肩書き、成功の象徴。
それもまた現実であり、否定はできない。
けれど、そのステータスを人は死後に持っていけるだろうか。
どれほど築いても、最後は手放すしかない。
では、お金は無意味なのか。
決してそうではない。
お金の本当の価値は、「使い方」にこそ宿る。
誰かを助けたとき。
大切な人と時間を分かち合うために使ったとき。
心が少し温かくなる選択のために使ったとき。
その瞬間に生まれるもの――
それが、幸せに最も近い。
幸せは買えない。
だが、幸せが芽生える「土壌」を整えることはできる。
お金とは、そのための道具にすぎない。
握りしめるほどに価値が減り、
手放すことで意味を持つ。
お金は目的ではなく、道。
幸せは数字の先ではなく、日々の在り方の中にある。

