下座行 ― ゴミ拾いから学ぶこと

人生・生き方

先日、道端や駐車場周辺のゴミ拾いを行いました。

かごの中には、空き缶、ペットボトル、紙コップ、弁当容器、ビニール袋など、さまざまなゴミが集まりました。

こうして並べてみると、一つひとつは小さなゴミでも、集まるとかなりの量になります。

普段何気なく歩いている道も、少し目を向けるだけで多くのゴミが落ちていることに気付かされます。

私はゴミ拾いを単なる清掃活動とは思っていません。

これは「下座行(げざぎょう)」の一つだと考えています。

下座行とは、自分を低い位置に置き、人のため、世のために尽くす行いのことです。

誰かに頼まれたわけでもなく、報酬があるわけでもありません。

ましてや、多くの場合は誰にも気付かれません。

しかし、だからこそ意味があるのだと思います。

人は知らず知らずのうちに、自分が認められたい、自分を評価してほしいという心を持っています。

それ自体は悪いことではありません。

けれども、その心が強くなりすぎると、感謝する心や謙虚さを忘れてしまいます。

下座行は、その心を整える修行でもあります。

ゴミを拾うたびに、「誰かが気持ちよく過ごせますように」と願う。

掃除をしながら、「自分の心の中のゴミも一緒に掃除しよう」と振り返る。

そんな時間を持つことで、少しずつ心が落ち着いていきます。

昔から「掃除をすると運が良くなる」と言われます。

それは単なる迷信ではなく、掃除によって環境が整い、自分の心も整うからなのでしょう。

散らかった場所には荒れた気が宿り、整った場所には清らかな気が流れます。

だからこそ神社やお寺では掃除が大切にされているのです。

箒を持ち、雑巾を掛け、落ち葉を集め、ゴミを拾う。

それらはすべて立派な修行です。

大きな善行を行うことは難しくても、目の前のゴミを一つ拾うことは誰にでもできます。

一つの善行は小さいかもしれません。

しかし、その小さな行いが積み重なれば、自分の人生を変え、周囲を変え、やがて社会を少しずつ良くしていく力になるのだと思います。

今日拾ったゴミの数だけ、感謝の種を蒔くことができたでしょうか。

これからも無理をせず、できる時に、できる場所で。

下座行としてのゴミ拾いを続けていきたいと思います。

合掌。🙏

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