「執着を手放す」とはどういうこと? 仏教が教える本当の意味

生き方の工夫

「執着を手放したほうがいい」。その言葉を聞いて、大切な人への思いや、長く追いかけてきた目標まで捨てなければならないのかと、戸惑うことはないでしょうか。

手放すという言葉だけでは、何を、どのように見つめ直せばよいのか分かりにくいものです。

この記事では、宗派の公式資料を手がかりに、仏教でいう執着の意味を確かめます。そのうえで、日々の暮らしではどう受け止められるかを考えてみます。一つの説明を、すべての宗派に共通する唯一の答えとはせずに読み進めていきましょう。

仏教でいう「執着」は、とらわれる心

新纂浄土宗大辞典の「執着」は「しゅうじゃく」を見出しとし、事物に心をとらわれることと説明しています。

日常の場面に引き寄せるなら、「こうでなければならない」と、一つの結果や見方から離れられなくなる様子を思い浮かべると、入口になるでしょう。

たとえば、相手に思いを伝えたいと願うことと、「自分が望む言葉で返事をしてくれなければ、意味がない」と決めてしまうこと。そこには、少し違う心の向け方があります。

ここで考えたいのは、願いを持った自分を責めることではありません。その願いに、どのような条件を重ねているのかということです。

なぜ、執着が苦しみにつながると説かれるのか

浄土宗公式サイト掲載の平岡聡氏の解説は、執着と苦しみの関係を、望んでいることと現実の食い違いから説明しています。

その説明を手がかりに、仕事での評価を例に考えてみます。力を尽くしても、期待した評価が得られないことはあります。そのとき、「今回は何が足りなかったのか」と考えることと、「必ず認められるはずだった」と結果を受け入れられずにいることは、同じではありません。

努力した事実と、思い描いた結果。その二つをいったん分けてみると、次にできることを考える余地があるのではないでしょうか。

ただし、この仏教上の説明を、つらい境遇にいる人へ「あなたの心が原因だ」と言うために使いたくはありません。理不尽な扱いや生活上の困難への対応を、心の持ち方だけで済ませないことも大切にしたいと思います。

「手放す」を、諦めや無関心と混同しない

ここからは、資料を読んだうえでの日常への受け止め方です。経典の言葉をそのまま訳したものではありません。

努力をやめる、という意味にしない

目標に向かって取り組むことと、結果が一つに決まっているかのように考えることは、分けてみてもよさそうです。

試験に向けて勉強するなら、今日取り組む内容を決める。うまくいかなかったら、方法を見直す。それでも、望んだ結果を必ず手にできるとは限りません。

「この結果でなければ、これまでの時間は全部無駄だ」と結論を急がず、積み重ねたことを確かめる。手放すという言葉を、そんな振り返りへの入口として受け止めてみてはどうでしょうか。

人を大切にする気持ちまで否定しない

会いたい、分かってほしい、一緒に過ごしたい。そんな思いがあることだけで、自分を「執着している人」と決めつけなくてもよいと思います。

相手を大切にしたいという願いの中に、「相手はいつも自分の思うとおりに応じるべきだ」という条件が入り込んでいないか。その点を、静かに確かめてみます。

思いを伝えることはできても、相手の返答まで自分で決めることはできません。気持ちをなかったことにするのではなく、相手には相手の考えがあることも含めて、関わり方を考えるのです。

手放せない自分を、責めるための教えにしない

仏教の話を、「自分の力で心を完全に整えればよい」という一つの方法にまとめないことも大切です。

浄土真宗本願寺派の河智義邦氏の法話は、とらわれから離れられない自身の姿を見つめ、阿弥陀仏の智慧(ちえ)に導かれる歩みを語っています。

これは、阿弥陀仏のはたらきと念仏を大切にする、その法話の信仰上の説明です。気持ちの切り替え方だけを取り出した自己管理の方法とは、分けて受け止めたいところです。

「まだ気になる」「どうしても忘れられない」。そうした自分の姿に気づいたとき、すぐに失敗と判定する必要はないのだと思います。

教えについてさらに知りたくなったら、関心のある宗派の解説を読んだり、寺院で尋ねたりする道もあります。手放せない思いを、無理にきれいな言葉で片づけなくてもよいのです。

暮らしの中では、何を見つめればよいのか

日常で考えるための一例として、「起きたこと」と「自分が望んでいたこと」を分けてみます。

たとえば、送った連絡にまだ返事がないとき。「返事が届いていない」が、今分かっていること。「すぐに返してほしかった」が、自分の願いです。

そこへ「大切にされていないに違いない」という結論まで加えていないか、確かめてみる。相手の事情が分からない間は、分からないまま置いておく考え方もあります。

これは、つらさを必ず消す方法ではありません。また、必要な連絡や相談を我慢するという意味でもありません。今の見方だけで結論を出していないかを確かめる、小さな問いとして提案します。

仏教の別の言葉からものの見方を考えたい方には、般若心経の「空」をやさしく読み解く記事もあります。

大切なのは、心の向け方を確かめること

「執着を手放す」という言葉に出会ったら、まずは、「自分は何を、どんなふうに求めているのだろう」と問いかけてみる。

相手への思いも、目標に向かった時間も、すぐに否定しなくてかまいません。その中に、自分や相手を一つの答えに押し込めようとする思いがないかを見つめます。

今日すべてを手放せたかどうかで、自分を採点しない。まずは、とらわれている自分に気づいたところから、もう一度、目の前の人や出来事に向き合ってみる。この記事では、そんな入口として受け止めてみたいと思います。

参考資料

タイトルとURLをコピーしました