先日、知り合いが突然亡くなりました。
人生には、誰もがたどるべき決まった道があるのでしょうか。仕事や家庭、年齢ごとの節目。その一つひとつを、どんな基準で選べばよいのでしょう。
同じ年齢の人と比べて、仕事が遅れているように感じる。周りが家庭を持つと、自分もそうしなければいけないように思う。そんなとき、何を基準に自分の人生を見ているでしょうか。
この記事では、浄土真宗と曹洞宗の公式資料から、それぞれの説明を紹介します。そのうえで、他人と比べることに疲れたときの受け止め方を考えます。
人生の「正解」と、周りからの評価を分けてみる
よい成績を取ること、仕事で認められること、安定した暮らしを築くこと。どれも、その人にとって大切な目標になりえます。
ただ、それを誰もが同じ順番、同じ年齢で達成すべき基準にすると、自分や他人の人生を狭く見てしまわないでしょうか。
たとえば、同級生の昇進を知ったとき。「自分もその仕事に挑戦したい」と思うのか、「同じ肩書きがない自分には価値がない」と思うのか。この二つは、分けて考えたいところです。
前者は目標を考えるきっかけになりえます。後者では、一つの違いから自分の人生全体へ判定を広げています。相手の実績を認めることと、自分を低く扱うことを、いつも一緒にしなくてもよいのだと思います。
仏教の資料は、比べる心をどう見つめているか
浄土真宗の法話にみる、他人を物差しにする心
本願寺鹿児島別院の法話「私は比べられたくないが 他人の事は比べている」では、柴田弘司氏が、他人を基準に自分の優位さを確かめようとする自身の姿を振り返っています。
法話は、その心を我執や煩悩と結びつけて説明します。我執とは、ここでは、自分はこうあるはずだという見方にとらわれる心を指します。煩悩は、身や心を煩わせるものとして説明されています。
これは、浄土真宗の法話として語られた自己への問いです。「比べる人は悪い人だ」と他人を裁くための説明としては受け取りたくありません。
日常に引き寄せるなら、「自分は何を確かめたくて、この人と比べているのだろう」と、問い直す入口になるのではないでしょうか。
曹洞宗の説明にみる、自分に向き合う時間
曹洞宗公式サイトの「自分と向き合う時間を大切に」は、外へ向かう心を内省へと向けることを、回光返照(えこうへんしょう)という言葉で説明しています。
また、坐禅だけでなく、食事や日常の一つひとつに丁寧に取り組むことも、自分に向き合う時間として紹介しています。
ここでは、この説明を「坐禅をすれば比較する心が消える」という効果の約束にはしません。曹洞宗の実践の紹介として、自分の見方を確かめる手がかりにします。
二つの資料を、一つの教義や同じ修行方法にまとめることはしません。それぞれの説明に触れながら、普段の自分が何を基準にしているかを考えてみます。
他人と比べないことを、次の競争にしない
ここからは、資料を踏まえた暮らしへの提案です。経典の訳や、宗派が定めた実践手順ではありません。
「もう他人と比べない」と決めた翌日に、また誰かをうらやましく思うことがあるかもしれません。そのたびに「自分はまだ駄目だ」と採点すれば、今度は、比べない自分になることが新しい競争になってしまいます。
まずは、比べていることに気づく。その比較が、学びたいことを教えてくれているのか、自分を傷つける判定になっているのかを確かめる。そこから始めてもよいのではないでしょうか。
他人から学ぶことまでやめる必要はないと思います。よい方法を教わる、助言を聞く、違う考えに触れる。その人との関わりを、自分の勝ち負けだけで終わらせないという向き合い方です。
とらわれる心について詳しく読みたい方には、「執着を手放す」とはどういうことかを考える記事もあります。
「遅れている」と感じたときに確かめたいこと
出来事と、自分への判定を分ける
「友人が転職した」は出来事です。「自分は取り残された」は、その出来事を見て浮かんだ受け止め方です。
今の仕事を続けたい理由も、変えたい理由も、まだ言葉になっていないかもしれません。他人の近況だけを、自分の進路を決める結論にしないでおきましょう。
自分の事情も、判断の材料に入れる
使える時間、生活の費用、担っている役割、体調。選択を考えるときには、今の事情も含めたいところです。
周りと同じ速度で進めないことを、そのまま努力不足と決めつけない。必要な調整や相談まで、心の持ち方だけで済ませない。この点も大切にしたいと思います。
次の一歩を、自分の言葉で選ぶ
「周りが始めたから」だけでなく、「自分は何のために始めたいのか」を、一言添えてみます。
学び直したいなら、誰かに追いつくためなのか、知りたいことがあるのか。どちらの気持ちも混じっていてかまいません。理由を確かめたうえで、資料を一つ読む、説明を聞くなど、取り組めるところを選びます。
正解を急がず、目の前の人と自分を大切にする
人生の選び方を一つに決めないことと、何をしてもよいとすることは別です。自分の希望を大切にしながら、相手の事情や、選択が周囲に与える影響も考えたいと思います。
また、誰かを亡くしたときに、その出来事からすぐに教訓を見つけたり、生き方の答えを出したりする必要はないのだと思います。故人が何を望んでいたかを、こちらで決めつけることもしません。
ここで紹介した資料を、「仏教は人生に正解がないと教えている」という一つの結論にまとめることはできません。ただ、他人の姿ばかりを見ていたとき、自分の見方にも目を向けるきっかけにはなるのではないでしょうか。
誰かより進んだかどうかを確かめる前に、今日の選択について、自分の言葉で理由を話してみる。答えがまだ出ないなら、出ないまま少し考える。その時間も、自分の人生の一部として大切にしてよいのだと思います。
参考資料
- 本願寺鹿児島別院「私は比べられたくないが 他人の事は比べている」:令和6年7月、柴田弘司氏の法話。他人を基準に自分を確かめる心について参照しました。
- 曹洞宗「自分と向き合う時間を大切に」:回光返照と、日常の中で自分に向き合う実践の説明を参照しました。
