大阪・富田林の瀧谷不動尊へ参拝し、護摩祈祷を受けてきました。燃え上がる護摩の炎を前に感じたこと、祈ることの意味、日々を生きる中で大切にしたい心について綴ります。
先日、大阪・富田林にある瀧谷不動尊へ参拝し、護摩祈祷をしていただきました。
境内へ入ると、日常とは少し違う静かな空気が流れています。
青い空。
山の緑。
歴史を感じるお堂。

そして「南無大聖不動明王」と書かれた提灯。
何度お寺や神社を訪れても、こうした場所に立つと自然と背筋が伸びます。
今回は参拝だけではなく、護摩祈祷をお願いしました。
瀧谷不動尊へ
瀧谷不動尊は、大阪府富田林市にあるお寺です。
御本尊は不動明王。
不動明王というと、険しい表情と炎を背負った姿を思い浮かべる方も多いでしょう。
一見すると恐ろしいお姿です。
けれど、その厳しい姿には、人を迷いや煩悩から救い、正しい道へ導こうとする慈悲の心が込められているといわれています。
優しいだけが慈悲ではない。
時には厳しく、自分自身と向き合うことも必要なのかもしれません。
護摩祈祷を受けて
今回、護摩祈祷をしていただきました。
護摩では、御本尊の前で火を焚き、祈りを捧げます。
燃え上がる炎。
響く読経。
その場に座っていると、普段頭の中を占めている仕事のことや、人間関係のこと、これから先のことなどが、少しずつ遠くなっていくように感じます。
毎日を生きていれば、いろいろあります。
思い通りにならないこともある。
腹が立つこともある。
心配になることもある。
「なぜ自分ばかり」と思ってしまう日だってあります。
そんなものを全部抱えたまま、人は毎日を歩いているのでしょう。
護摩の炎を見ながら思いました。
自分の中に溜め込んだものも、この炎と一緒に燃やしてしまえばいい。
もちろん、祈ったからといって明日からすべてがうまくいくわけではありません。
悩みそのものが消えてしまうわけでもありません。
けれど、自分の心の向きを変えることはできます。
それだけでも、祈る意味はあるように思います。
願うだけではなく、自分も動く
神社やお寺へ参拝すると、ついお願い事をしてしまいます。
お金が貯まりますように。
家族が元気でありますように。
仕事が順調に進みますように。
良いご縁がありますように。
それも決して悪いことではないと思います。
でも最近は、
「お願いします」だけでは足りないのではないか
と思うようになりました。
願った後は、自分自身がどう生きるのか。
そこが一番大切なのかもしれません。
商売繁盛を願うなら、お客様に喜んでいただける仕事をする。
良いご縁を願うなら、自分も人とのご縁を大切にする。
家族の幸せを願うなら、身近な人への感謝を忘れない。
祈りとは、何かを与えてもらうためだけのものではなく、
「自分も努力します」
と心の中で誓う時間なのかもしれません。
「不動」という言葉
今回、不動明王様の前で手を合わせながら、「不動」という言葉について考えていました。
世の中は常に動いています。
人の気持ちも変わります。
仕事の状況も変わります。
良い時もあれば、悪い時もある。
周りの言葉に振り回されることもあります。
そんな時こそ、自分の中に一本、動かないものを持っていたい。
人にどう思われるかではなく、
自分はどうありたいのか。
何を大切にして生きるのか。
もちろん、人間ですから迷います。
私も迷います。
だからこそ、ときどきこうして手を合わせ、自分の心を確かめる時間が必要なのでしょう。
手を合わせる時間は、自分と向き合う時間
昔から日本人は、神社やお寺、お墓や仏壇の前で手を合わせてきました。
そこには、お願い事だけではないものがあるように思います。
「ありがとうございます」
「今日も無事に過ごせました」
「また頑張ります」
そんな気持ちを静かに確認する時間です。
忙しくなるほど、人は立ち止まることを忘れてしまいます。
仕事。
お金。
人間関係。
将来。
次から次へと考えることが出てきます。
けれど、一度立ち止まって手を合わせると、
本当に大切なものは何だったのか
少しだけ見えてくることがあります。
護摩の炎に願いを込めて
瀧谷不動尊での護摩祈祷。
燃え上がる炎を見ながら、願いを込めました。
けれど帰る頃には、「願いを叶えてください」という気持ちよりも、
「また明日から、自分のできることを一つずつやろう」
そんな気持ちのほうが強くなっていました。
それでいいのだと思います。
人生には、自分の力だけではどうにもならないことがあります。
それでも、自分にできることはある。
今日を丁寧に生きること。
人への感謝を忘れないこと。
間違ったと思ったら改めること。
そして、何度でも前を向くこと。
護摩の炎は、そんな当たり前だけれど忘れやすいことを、もう一度思い出させてくれたような気がしました。
まとめ|心が迷ったら、手を合わせてみる
人は誰でも迷います。
強そうに見える人にも、悩みはあります。
何もかもうまくいっているように見える人にも、人には見せない苦労があるでしょう。
だから、無理に強くならなくてもいい。
迷った時には、一度立ち止まればいい。
手を合わせ、静かに自分の心と向き合ってみる。
答えがすぐに出なくても構いません。
また一歩歩き出せれば、それで十分です。
瀧谷不動尊で護摩の炎を見つめながら、そんなことを考えた一日でした。
南無大聖不動明王。
今日という一日に感謝して。
また明日から、一歩ずつ。


